
【news zero取材後記】 侵攻から半年 希望を捨てないウクライナ

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から早くも半年。戦争は、未だに激しい攻防が続いています。
軍事侵攻が始まった当初、朝の情報番組「ZIP!」でニュースを担当していた私は、日々配信されてくる映像を見て衝撃を受けたことを覚えています。行ったことはないものの、どこか既視感のあるヨーロッパの街中で、今まさに人的災害が起きている。情勢を追っていくうちにウクライナへの想いも強くなり、最新情報を確認するのが日課となっていました。
その後、「news zero」に配属された私に思いがけない仕事が舞い込んできます。有働由美子キャスターと共に、侵攻から半年が経ったウクライナを取材する番組の一大プロジェクトです。
今もレベル4の退避勧告が出されている国ではありますが、「こんなチャンスはもう二度とないかもしれない」という気持ちが恐怖や心配を上回り、二つ返事で引き受けました。
国際空港が閉鎖されているため、ウクライナへは隣国ポーランドから国境を越えて入ります。そこで目にしたのが、半年が経ってもなおウクライナから出ようとする多くの人々の姿。そして、支援物資を運び終えたのであろう大量のトラックの列です。出国の手続きのために、数日間並び続けているという車列は何キロにも渡っていました。
一時ロシア軍に占拠されていた街では住居の壁に数え切れないほどの銃痕が残り、ミサイルの着弾による大きな穴も所々で確認することができました。ある学校では爆風で窓ガラスが全て割れてしまい、黒焦げになった廊下や教室を歩くと焦げた臭いが生々しく残っているのです。
砲撃を受けたイルピンの学校
街にある墓地で見たのは番号だけが記されたいくつもの十字架。埋められていたのは身元が分からない多くの犠牲者です。そしてその脇には、いつ次の遺体が運ばれても直ぐに対応できるよう、深い穴が掘られていたのが印象的でした。
ポーランドとの国境近くのリビウという街では、激しい攻防が続く南部や東部から逃げてきた避難民の方々から話を伺うことができました。
ウクライナ南部から避難してきた夫婦
戦争の話になると途端に笑顔が消える女学生。ウクライナ語が分からない私たちに、自分の身に起きた悲惨な出来事を一生懸命に訴えかけてくるおばあさん。インタビュー中、辛い経験を思い出し泣き出す人も少なくありません。
何の罪も無い一般の市民に訪れた突然の悲劇。私は改めて戦争の愚かさを感じたと同時に、そんな状況の中で平和な日本からカメラを持ってやってきた私たちのことをどう思うのだろうか?と心配に思いました。すると、取材終わりにおばあさんは私に「遠い国からわざわざ取材に来てくれてありがとう」と感謝を述べ、握手を求めてきたのです。
このとき私は報道人として、侵攻から半年が経ったウクライナの現状を広く一般に知らせることの重要さを再認識し、日本でも伝え続けることに使命感を覚えました。
一番恐怖を感じたのが
空襲警報のサイレンです。初めて聞いたのは避難民の家族にインタビュー取材を行っている最中でした。物々しいサイレンが突然町に鳴り響き、私は戦地にいることを改めて実感します。
初めての経験に緊張が走りますが、それは避難民の家族が半年間、聞き続けた音です。
彼女たちは慌てることなく我々を安全な場所まで速やかに誘導してくれました。激しい戦闘が続く東部の街から逃げてきた家族は、こうした空襲警報が鳴らない安全な地域を目指して西まで逃げてきました。
しかし、そんな場所は半年経った今でもウクライナには残されておらず、ミサイルの脅威を感じながら今も生活しているのです。
滞在中は少なくとも15回以上、昼夜問わずにこうした空襲警報を耳にすることがありました。それでも半年という期間を経て、街はゆっくりと戦争前の日常を取り戻しつつあります。
時折、「ここは本当に戦争をしている国なのだろうか」と疑うような光景も目にすることがありました。一時はロシア軍がギリギリまで攻めてきた首都キーウでは、サイレンが鳴っても街行く人が構う様子はありません。レストランでは人々がテラス席でごく普通に食事を続け、地下施設に避難する人もあまりいないのです。破壊されたロシア軍の戦車が並ぶ街の中心地では、市民たちが嬉しそうに記念写真を撮る光景も。多くの人が、こうした非日常を「新たな日常」として受け入れ、戦争と折り合いをつけながら生活を送っているのです。
戦車と少女
日本との生中継時 カメラマンと筆者
「慣れ」というのは怖いもので、次第に私もサイレンが鳴り響いても、当初のような緊張を感じなくなっていました。「半年も続けていたら、これが日常になってしまうよ」と取材した市民が話していたのを思い出します。
まだまだ先が見えない戦争。どうしてこんな環境で人々は生活をし続けることができるのでしょうか?
それは、ウクライナの多くの市民が「ロシアが負け、ウクライナが勝つ」と信じているからだと私は思います。
「ギリギリのところでロシア軍を食い止めたんだ」と興奮気味で話すウクライナの兵士。キーウで新たに教育を再開しようと奮闘する大学の学長とその学生。取材で出会った誰もがウクライナの未来に希望を持ち続け、新たな一歩を踏みだそうとしているのです。
実際に東部の街を次々と奪還しているウクライナ軍。彼らが信じる明るい未来はそう遠くないのかもしれません。
私がウクライナで感じた戦争はほんの一部にすぎませんが、報道に携わる者としてこの経験は、私にとって大きな糧となったことは間違いありません。
これからも戦況について番組を通して伝え続け、いつか戦争が終わった美しいウクライナをまた訪れたいと思っています。
首都キーウの独立広場