スペシャルオリンピックスって、知っていますか?~"Be with all"を示そう~

知的障がいのある人たちにスポーツ活動の場を提供する団体、それがスペシャルオリンピックス(SO)です。
オリンピックと同じく4年に1度、夏と冬に国際競技大会が開催され、その前年には予選を兼ねた国内大会が開催されます。ですが、彼らには大会や試合だけでなく、普段の活動、地元の体育館での活動も同じくらい大事である、という考え方があります。「...オリンピックス」と複数形の「s」がついているのは、そういう意味です。
国際本部のもとに各国の本部があり、日本には47都道府県全てに支部があります。
私が初めてSOの事を知ったのは7年前。「NEWS ZERO」(大文字&村尾キャスター時代のZEROです)を担当しているときでした。当時ZEROでキャスターをしていた北澤豪さんから「是非会って欲しい人がいる」と言われてお会いしたのがSOの事務局の方でした。
私は、SOのことも、その団体の理事長をマラソンの有森裕子さんが務めていることも、全く知りませんでした。
ですが、事務局の方の熱心なお話しぶりと、「知的障害のある人にスポーツをする場を提供する」というその活動内容が、AX-ONの柴崎副社長が当時NEWS ZEROを立ち上げた当時に掲げたコンセプト、「日本を良くする」 に非常にマッチする予感があったので、一度現場を見に行く事にしました。
現場でスポーツ活動を行う知的障害のあるアスリートたちや、それを支える周りの人たちの姿から感じたのは、スポーツを「楽しむ」という、何か根源的なエネルギーでした。当時私がいた日本テレビのスポーツ局では、プロ野球やオリンピック競技など、競い合い、勝ち負けをつける事にフォーカスしたコンペティションのスポーツ以外のスポーツについては、紹介したり目を向けることすらありませんでした。
このSOとの出会いはある意味、私の人生に別の視点を与えてくれる出会いになりました。
そんなこんなですっかりSOの魅力にハマった私は、ZEROで何度か特集を放送したり、SOの応援ソングを作ったGLAYのTERUさんと共にアメリカロケを敢行してBS日テレで特番を作ったり、news every.で特集を放送したりと、少しずつ社内外にSOに共感する仲間たちを増やしながら、とにかく折に触れSOの活動を、放送を通じて「紹介する」ということをやって来ました。
いつしか立場と部署が変わり「新規事業開発」ということを考えるようになっても、それでもSOの事は常に私の頭の中にあって、「SOと何か事業ができないか?」とずっと思っていました。
そんな自分の思いと、SOの皆さんの「自分たちの活動やその価値を高めるために新しいことをしたい」という思いが重なったのが昨年の事でした。「紹介する」だけではなく、「共に創る」という方向にかじを切ったのです。
SOの皆さんと色々話しているうちに、コロナ禍でスポーツ活動が制限されているなかで「アスリートアンバサダー」という活動を行っていることを知りました。それは、今まで一方的にメディアに取材されるだけだったアスリートが、自らその活動を取材したり、紹介したりする活動です。
ですが、彼らは取材の訓練を受けたわけでも、インタビューをどうするかも知りません。まさに我々メディアが一緒にできる領域、と直感し、協会と一緒に彼らの研修プログラムを作成。毎月1回、リモートでアンバサダー3人に"授業"をすることとなりました。
主に私が先生役でしたが、時には日本テレビから、日本テレビのアナウンサーの先生役も務める豊田順子アナウンサーをお招きして「相手にしっかり伝えるための話し方講座」も行いました。
年齢も性別も出身地も、もちろん性格も全然違う3人と
「取材するってどういうこと?」
「インタビューをするときに気をつけることは?」
など話すうちに、彼らに障がいがあるとかないとか、全く気にしていない自分に気がつきました。
アスリートアンバサダーの毎回の授業資料(1年分)
そして実際に彼らが授業の中で学んだことを活かしてインタビューを行い、とても上手に取材する様子などを見るにつけ、冒頭の言葉、「できないのではない、挑戦する場がないだけ」を思い出したのです。
これはSOの理事長である有森裕子さんが常日頃からアスリートの活動について仰っていたことで、私はそれを彼らのスポーツ活動を指しての言葉だと思っていたのですが、スポーツ以外にも言えることで、アスリートアンバサダーの活動は今まで「やっていなかったこと」だっただけであり、「できないこと」ではなかったのだということを実感したのです。
そんな中、アスリートアンバサダーたちの授業を行うにあたり、彼らに最終的な目標を掲げました。
それは
「アンバサダーのみんなで番組を作ろう」
ということです。3人ともそれを聞いた瞬間「!?」という感じにはなりましたが、すぐに色々なアイデアを出し始めました。

さすがに1人ではサポートしきれないと思い、私の信頼する2人のディレクター・増田泰洋さん(現ライブ部)と佐野由起子さん(スポーツ1部)に協力を依頼。2人とも即答で「やらせて下さい!」と応じてくれました。ほぼ1年かけて丁寧に授業をしつつ、番組制作のテーマを決めたり、4年に一度の国内競技大会である広島ナショナルゲームに取材に行ったりして、彼らと共に番組作りをしていきました。
さらに番組の仕上げに向けてはNiTRoの皆さんの手で、M-CUBEというバーチャルスタジオに彼らのためのオリジナルセットを作ってもらったりもしました。


そして今年1月、汐留に3人のアンバサダー、そして彼らの先輩に当たる第1期のアンバサダー3人が集結。NiTRoの皆さんの協力を得て、麹町スタジオを見学させて頂いたり、M-CUBE内のSOオリジナル・スタジオで収録をしたりと、大興奮の2日間を過ごしてもらいました。
その後、ナレーションを林田尚親さんにお願いしたり、増田さんと佐野さんが何日も編集所に籠ったりと、全力で制作。労作が完成したのが3月、そしてSOのサイトにて6月にようやく公開となりました。
「SONアスリートアンバサダーが"伝える" スペシャルオリンピックス(SO) ~Be with all~」 配信番組公開! | アスリートアンバサダー | 活動レポート | 公益財団法人 スペシャルオリンピックス日本


番組制作の傍ら、今年3月にはヒルトンお台場で200名以上を招いて、彼らの事業説明&30周年記念イベントが行われました。今回の番組制作の流れでAX-ON加藤社長にもご出席の上、スピーチをして頂きました。
アスリートアンバサダーたちから感謝の寄せ書きを頂きました
今回のイベントの総合プロデュースを務めた澤田勝徳さん(新規事業・海外事業開発部)や、4年に1度の国際競技大会・ワールドゲームの特設ウェブサイトの制作を依頼している外部プロダクションなど、今後もこの活動を通じた仲間を増やしながら、今年度もSOとの共創事業を続けていきます。
また、アスリートアンバサダーも、今回番組を制作した3人に代わり、第3期として選ばれた新たな3人に対して、今年も引き続き私が授業を行っています。
番組制作で育った私は、放送を通じて物事を「伝える」ことで、世の中にちょっとはSOのことを知ってもらえたと思っていました。それはそれでとても重要なことですし、間違ってはいないと思います。ただ、SOの事業やその中で生きるアスリートたちと話したり、一緒に考えたり、「共に創る」というフェーズになってから、改めて彼らのために何ができるかを本当に考えるようになりました。
SOが掲げる最も重要なスローガンに「Be with all」という言葉があります。これは「障害のある人もない人も、全ての人たちが一緒に、よりよい社会を作っていきましょう」というメッセージなのですが、障がい者と健常者という区別があったにせよ、健常者が支え、障がい者が支えられる、という単純なことではありません。SOの活動に高い価値があると認めるのであれば、あなたもわたしもSOと一緒にできることを考え、実行していこうというメッセージだと私は受け止めています。
今後も私なりの「Be with all」、そしてAX-ONなりの「Be with all」を示していければと思っています。
