北京五輪合宿記録 ~コーディネーター編~


「北京五輪に来てくれない?
きっと良い経験になるよ!」
日本テレビスポーツ局のSプロデューサーに 直接お誘い頂いた私は、スポーツセンターでもニュース・ライブセンターでもない、日本テレビのアニメ・ドラマを海外に売るコンテンツ戦略部の人間です。
夏の東京五輪で海外放送局とお仕事をさせて頂いた私は、その経験と英語・(小学生レベルの中国語)を話すという理由でコーディネーターとして、中継のプロの皆さんと北京五輪に参加するという、とても貴重な経験をさせて頂きました。
チームメンバーでは五輪のメインプロデューサーの2人しか知らず(逆に強い)、羽田空港では完全にぼっち転校生の私。本当にこんなんでやってけるのか..コーディネーターって何すれば良いんだ..(というか二次元でしかお仕事していない自分、もはや三次元の人々との話し方を忘れている..)と不安でしたが、優しいチームの皆さんに快く受け入れて頂き、感動して北京に降り立ちました。
北京到着後、すぐに練習、大会の取材が始まりました。しかしここでも問題が、、
「Can I ~ ?」 「ハ????」
英語が全くツウジナイ......ホテルも、ドライバーも、五輪のメディアセンターでさえ通じない、、使う予定も無かった私の小学生レベルの中国語をフルに発動しました。
今回はバブル方式ですが境界があやふやなところもあり、車で間違ってバブル外に出たらその後の取材が禁止になってしまいます。ディレクターの仕事を台無しにできない!と思い、ドライバーとのコミュニケーションは本当に気を付けました。


フィギュアスケート の競技中継の際には 羽生選手の異様な人気や会場の特別な緊張感を感じながら、良い映像を撮れるよう取材の段取りを前日から皆で確認しました。
報道チームではドーピング問題やジャンプの失格問題、また情報チームは突如現れたスーパースター「ギドゥンドゥン 」(日本テレビ辻岡義堂アナウンサーの新たな"愛称")に殺到する取材依頼を受けたりと、それぞれのチームにて過酷な状況がありました。私はどのチームとも日々行動を共にし、海外メディアへの取材に同行し、とりあえず記者をナンパしては取材映像を撮りました。自分が見ているような帯番組で「使ったよ!」と言ってもらえた時は本当に嬉しかったのと同時に、現場で毎日これをするみんなは大変だな...と尊敬の念を新たにしました。
コーディネーター の私は、現地採用の中国人コーディネーターの皆さんとも仲良くさせてもらいました(というよりも、日々中国語を矯正されていた)。アニメやドラマを中国にも売る担当として、みんなが日々どんなコンテンツを見ているのかを聞くのもとても楽しく、今でも日々連絡をもらっております。こういうスポーツに限らない貴重な出会いもありました。
何よりも、私のことをボッチ状態から気遣ってくれたAX-ONの鈴木由真ディレクターや、一緒にビールを飲んでくれた北京チームの皆さんには感謝しかありません!
アニメを売りながらでも、現場も経験できるなんてとても幸せだな~と思いました。

ありがとうございました~!